箱の話
3ヶ月以上も空いてしまった。
ごです。
こういうブログを書く時、色々伏線を考えたり最も伝わりやすくするために例えをあげたりするのが好きなんですが、いつも通りスタバに入って適当に書き始めたのでご期待はなさらず。
箱。
BOX。
パッケージ。
物が入っていたり、ライブ会場をハコなんて言い方もしますね。
汎用性のある単語だと思います。
箱そのもののイメージばよくあるリボンのついたプレゼント箱、スマホを使っていれば見れるであろう絵文字の箱が一番しっくりくると思います。
何かを人に贈る時、状況や人となり、趣味趣向を取り入れ時には悩み、アドバイスを受けつつ納得のいく逸品を送るかと思います。
不安や受け入れられた時の喜びの想像、私はそれすら楽しく愛おしく思ってしまいます。
大切な人の感情を動かすその歪んだ情なのか、はたまた技量、センスを問われ認められるかどうかの試練の様な、心臓を掴まれる感覚。
よく祭り事は準備が楽しいと言われますが、まさにソレ。
ある種のトランス状態なのではないかと。
そのありとあらゆる感情がつまった箱。
自分の出せる全てを詰め込んだ箱。
これは贈り物でもそうだし、テレビ番組でも何かしらのイベント事でも根本は同じだと思う。
一番下の下、根底に目的があって、5W1Hよろしくいつどこで誰が誰に何をするなんてものがしっかりハマって刺して。
ほら、どんなパッケージも一緒でしょ?
物でも映像でも小説でも、本質は一緒なんです。
そして世の9割の人はハッピーな物か感情のジェットコースターによるアハ体験が好きだと思う。
上に書いた感情を動かす喜び。
物語は人々の頭に傷痕を残してナンボですから、緻密に計算を繰り返し伏線を張り、最後の最後に全部拾って大団円。
しかしこれが大変難しい。
目的なんて一番簡単な物で、いかにそれを達成する為には何が必要かを正確に出さなきゃいけない。
どれくらいの期間をかけて、どういう道を歩いたら目標を達成出来るか等々、見切り発車だと中々厳しいものがある。そして打ち出す人は楽しみが減ってしまうんだ。
見切り発車は別に100%悪い訳とは思わない。
世の中には数打って当たったものを伸ばすこともあるから、ケースバイケース。
問題は、数打つ時間が本当はひとつしかなかったり、よく見たら針に糸を通す程しか当たらないものだったり。
目的が見えてるけど自分の足元は360°崖だった、みたいな。
そんな状況を楽しめるのは時間があるから。
崖しか見えないのは時間と余裕がないから。
ポケットにロープが入ってるかもしれないのにね。
「一歩引いて、見ろ」
これはお世話になった方からの金言で、今でもこの言葉を忘れていたら後悔してる、そんな大事な言葉。(忘れるなよ。)
1人で何か没頭している時はほぼ周りが見えてないから悪い方向に進んでいても気が付かないんですよね。
このブログでも書き終わった後は何回も読み返して変換間違いが無いか、リンクを貼ったならちゃんと飛べるかどうかチェックしてから公開ボタンを押してます。
自分の場合は本筋書いている時に違う書き方が思い付いたら下の方で書いておくので、使わなかったら後で消さなきゃいけなかったりなので多分人より確認が多いと思います。
文を書く人はまず間違いなくやること、というか生きていく上で何事にも確認は必要ですからね。
確認するためには俯瞰的な視点、第三者の視点で見ないと見えないアラがあるから気持ちをフラットにして、作った物を見るように。これはとても大事だと思う。
さて、頼んだストロベリーなんたらフラペチーノの無くなったのでこの辺で。